牛腸茂雄展−自己と他者−
2004年10月23日 美術館・博物館系相方がこの写真展のレポートを書かなくてはならないらしいので一緒に見に行ってきた。
そしたら会場が2つあって、1つは駅のすぐ目の前だったけどもう1つは駅から徒歩12分の場所にあることがわかった。
会場の中もけっこう歩いた上に第2会場に行くまで往復2キロ以上歩いたのでかなり疲れた。
この牛腸さんという人は押さないときに大病にかかりずっと身体的なハンディを背負って生きたそうだ。
彼のセルフポートレートを見たが、確かに方が盛り上がった感じだった。
周囲の反対を押し切って上京したが、ハンディのせいで思うように仕事もできず、苦しい生活を続けて36歳で早世してしまった。
写真のことはわからないけど、彼の人生を知るとまた違った風に見えてきた。
どの写真に写っている人も無表情でじっとカメラを見ていて、カメラと被写体との間に壁があるような気がした。
きっとこういう壁を感じ続けて生きた人なんだろうと思った。
帰りの山手線でちょっとゆれた気がした。
でも周りはノーリアクションだったので電車が到着した振動だと思った。
夕ご飯を食べるためによったとんかつ屋さんのテレビで驚愕した。
ご飯を食べてる間もけっこう揺れた。
東京でこれだけ揺れてるんだから新潟は相当なものなんだろう。
母親から大丈夫かとメールが着たがむしろそっちが心配だよと思った。
メールを送る余裕があるんだから大丈夫なんだろうけど。
そしたら会場が2つあって、1つは駅のすぐ目の前だったけどもう1つは駅から徒歩12分の場所にあることがわかった。
会場の中もけっこう歩いた上に第2会場に行くまで往復2キロ以上歩いたのでかなり疲れた。
この牛腸さんという人は押さないときに大病にかかりずっと身体的なハンディを背負って生きたそうだ。
彼のセルフポートレートを見たが、確かに方が盛り上がった感じだった。
周囲の反対を押し切って上京したが、ハンディのせいで思うように仕事もできず、苦しい生活を続けて36歳で早世してしまった。
写真のことはわからないけど、彼の人生を知るとまた違った風に見えてきた。
どの写真に写っている人も無表情でじっとカメラを見ていて、カメラと被写体との間に壁があるような気がした。
きっとこういう壁を感じ続けて生きた人なんだろうと思った。
帰りの山手線でちょっとゆれた気がした。
でも周りはノーリアクションだったので電車が到着した振動だと思った。
夕ご飯を食べるためによったとんかつ屋さんのテレビで驚愕した。
ご飯を食べてる間もけっこう揺れた。
東京でこれだけ揺れてるんだから新潟は相当なものなんだろう。
母親から大丈夫かとメールが着たがむしろそっちが心配だよと思った。
メールを送る余裕があるんだから大丈夫なんだろうけど。
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